MESSAGE
院長挨拶・実行委員長挨拶
EVENT
100周年イベントのお知らせ
HISTORY
100年の歩み 〜地域の皆さんと共に歩んできた当院の歴史をご紹介します〜
草創期 大正12年 - 昭和25年
衛生環境が悪化し、近村各地で伝染病が広がり、
多くの若い命が隔離病舎で失われる中、「伝染病院」が設立されました。
西秋留村、多西村、平井村、増戸村および五日市町の五ケ町村により「西秋留村外四ケ町村病院組合」として東京府よりの設置許可を受ける。初代管理者には、西秋留村村長の瀬沼利氏氏が就任する。
単独伝染病院を開院する(伝染病床21床)。初代院長には、東京府立駒込病院より犬塚道夫氏が就任する。
東秋留村および大久野村の組合加入を契機に、組合の名称を「阿伎留病院組合」に改称する。
確立期 昭和25年 - 昭和45年
結核の流行に対応するため、新たに病棟が一棟増築されました。
一方で、井戸水が水道に切り替わり、さらに抗生物質の登場によって消化器系の伝染病は急速に減少し始める時代でもありました。
病床数を一般6床、結核114床、伝染55床に変更する。
産婦人科、整形外科、眼科を開設する。
病床数を一般140床、結核56床、伝染34床に変更する。
建物の老朽化に伴い、医療施設・設備の改善を目的に、3ケ年計画で鉄筋3階建ての新病院の建設に着手する。(移転新築)
成長期 昭和45年 - 昭和63年
新病院の建設が始まり、それとともに結核病棟の廃止や
総合病院への移行が進められた時代でした。
・秋多町が市政を施行、名称を秋川市に改める。 ・新病院に移転し、診療業務を開始する。 ・新病床数一般128床、結核68床に変更する。
・伝染病隔離病舎改築工事完了。(病床数20床) ・小児科を開設する。 ・結核病棟廃止許可。 ・翌年に結核病床56床を一般に転用する。
・「総合病院」の承認を受ける。 ・全身用CTスキャナーを導入する。 ・新館工事完了。新病床数一般196床、伝染24床になる。
発展期 平成元年 - 平成18年
伝染病隔離病舎が廃止され、一般病床が増床されるとともに、
総合病院としての整備が一層進み、病院機能の充実が図られた時代でした。
・伝染病隔離病舎廃止する(伝染24床減)。一般病床196床。 ・東館病棟開棟する。一般病床196床。 8月7日にリハビリ専用病床29床許可(特例許可病床)。 一般病床225床となる。 ・血液透析室開設する。
・MRI(1.5テスラ)導入。 ・秋川市と五日市町が合併し、名称を「あきる野市」と改める。 ・高速らせん型全身用CTスキャナーの導入。
・東京都災害時後方医療施設および災害拠点病院(国)の指定を受ける。 ・医師臨床研修を開始。 ・(財)日本医療機能評価機構による病院機能評価(Ver4.0)認定取得。 ・病院情報システム(電子カルテ等)導入。
成熟期 平成18年 - 現在
公立阿伎留病院を全面改築して、
公立阿伎留医療センターに病院名を変更して、現在に至ります。
・新病棟開院(7病棟・266床でオープン) ・緩和ケア病棟を開設する。 ・消化器病センターを開設する。 ・回復期リハビリテーション病棟を開設する。
・DPC(診断分類に基づく包括評価制度)対象病院となる。 ・一般病棟入院基本料7対1を届出する。 ・阿伎留病院企業団に組織変換。
・地域包括ケア病棟を開設する。 ・公立阿伎留医療センター新改革プランを策定する。
・新型コロナウイルス感染症対策室を設置。翌日、「帰国者・接触者外来(新型コロナ外来)」の設置および4階西病棟の個室病床2床をCOVID-19患者の専用入院病床として確保。 ・院内に集団接種会場を設置し、構成3市町村住民を対象とした新型コロナウイルスワクチン接種を開始。
・磁気共鳴断層撮影装置(3.0テスラ)を更新。 ・全身用X線CT診断装置を更新。 ・放射線治療機器(リニアック)の再稼働。 ・山梨大学医学部放射線医学講座と医療連携協定を締結。