• 地域の皆さんと共に、次の100年に向けて歩む

MESSAGE
院長挨拶・実行委員長挨拶

院長挨拶

公立阿伎留医療センター100周年を迎えるにあたって

公立阿伎留医療センターは、大正14年に開設された西多摩地区唯一の「伝染病専門病院」を前身として、本年で創立100周年を迎えるという大きな節目に立っています。これまで地域の皆さまに支えられ、あきる野市・日の出町・檜原村の中核医療機関として積み重ねてきた歴史は、誠に尊いものです。そして今、私たちは次の100年に向け、新たな一歩を踏み出そうとしています。

病院の基本理念は、医の心を重んじ、患者の生命と健康と生活の質を考える良質の医療を実践し、地域医療に貢献することです。その取り組みの一つが、最新鋭のリニアック放射線治療装置の導入と、それに伴うがん診療体制の高度化です。また医療DXもさらに加速させ、技術革新と効率化を図ることで、より質の高い医療の実現を目指してまいります。

しかし、いかに技術が進歩しても、医療の根幹は「人と人との信頼」にあります。「顔の見える、心の通う医療」を土台に、「患者さんと共に、地域と共に」の理念を次代に引き継ぐべく、職員一丸となって地域の健康と命を守ってまいります。
今後とも、ご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

企業長・院長 武井正美
企業長・院長 武井正美

開院100周年記念事業実行委員会委員長挨拶

公立阿伎留医療センター100周年によせて

阿伎留医療センターは本年100周年を迎えます。日本に数ある病院の中でも100周年を迎える病院は多くありませんので、阿伎留医療センターが長きにわたって地域の医療に貢献できたことは誇りです。

明治から大正にかけては伝染病にかかると隔離をされてしまってまともな治療を受けられなかったそうです。そこで設備の整った専門の病院を建てる気運が高まり西秋留・大久野・増戸・平井・五日市の五か町村の協力で当センターが設立されました。とくに瀬沼利氏(としうじ)氏が私財をなげうって病院設立に尽力されたと聞いています。あらためて大正時代に都心から離れたこの地に当センターを設立された先人に敬意を表します。

現在では結核などの古典的な感染症は減少していますが、長寿化とともに悪性腫瘍、脳血管疾患は増加しています。阿伎留医療センターはこれらの治療を行うべく可能な限り最新の機器、医療を導入しています。次の100年に向けて秋川流域10万人の中核医療機関として阿伎留医療センターはさらに発展していきます。

100周年記念式典は「地域の皆さんとともに」をテーマに本年10月19日(日)に当院で行います。患者さん、地域の皆さんなど多くの皆さんに楽しんでいただけるような企画を準備しています。ご家族とともにご参集ください。

開院100周年記念事業実行委員会委員長 八田善弘
開院100周年記念事業実行委員会委員長 八田善弘

HISTORY
100年の歩み 〜地域の皆さんと共に歩んできた当院の歴史をご紹介します〜

草創期 大正12年 - 昭和25年

衛生環境が悪化し、近村各地で伝染病が広がり、
多くの若い命が隔離病舎で失われる中、「伝染病院」が設立されました。

大正12年6月9日

西秋留村、多西村、平井村、増戸村および五日市町の五ケ町村により「西秋留村外四ケ町村病院組合」として東京府よりの設置許可を受ける。初代管理者には、西秋留村村長の瀬沼利氏氏が就任する。

大正12年6月9日
大正14年4月10日

単独伝染病院を開院する(伝染病床21床)。初代院長には、東京府立駒込病院より犬塚道夫氏が就任する。

大正14年4月10日
昭和8年11月3日

東秋留村および大久野村の組合加入を契機に、組合の名称を「阿伎留病院組合」に改称する。

昭和8年11月3日

確立期 昭和25年 - 昭和45年

結核の流行に対応するため、新たに病棟が一棟増築されました。
一方で、井戸水が水道に切り替わり、さらに抗生物質の登場によって消化器系の伝染病は急速に減少し始める時代でもありました。

昭和27年3月27日

病床数を一般6床、結核114床、伝染55床に変更する。

昭和27年3月27日
昭和28年4月1日

産婦人科、整形外科、眼科を開設する。

昭和28年4月1日
昭和44年12月4日

病床数を一般140床、結核56床、伝染34床に変更する。

昭和44年12月4日
昭和45年8月7日

建物の老朽化に伴い、医療施設・設備の改善を目的に、3ケ年計画で鉄筋3階建ての新病院の建設に着手する。(移転新築)

昭和45年8月7日

成長期 昭和45年 - 昭和63年

新病院の建設が始まり、それとともに結核病棟の廃止や
総合病院への移行が進められた時代でした。

昭和47年5月5日 - 昭和48年5月9日

・秋多町が市政を施行、名称を秋川市に改める。 ・新病院に移転し、診療業務を開始する。 ・新病床数一般128床、結核68床に変更する。

昭和47年5月5日 - 昭和48年5月9日
昭和50年3月20日 - 昭和53年2月28日

・伝染病隔離病舎改築工事完了。(病床数20床) ・小児科を開設する。 ・結核病棟廃止許可。 ・翌年に結核病床56床を一般に転用する。

昭和50年3月20日 - 昭和53年2月28日
昭和58年4月14日 - 昭和63年3月15日

・「総合病院」の承認を受ける。 ・全身用CTスキャナーを導入する。 ・新館工事完了。新病床数一般196床、伝染24床になる。

昭和58年4月14日 - 昭和63年3月15日

発展期 平成元年 - 平成18年

伝染病隔離病舎が廃止され、一般病床が増床されるとともに、
総合病院としての整備が一層進み、病院機能の充実が図られた時代でした。

平成2年3月31日 - 平成3年10月1日

・伝染病隔離病舎廃止する(伝染24床減)。一般病床196床。 ・東館病棟開棟する。一般病床196床。  8月7日にリハビリ専用病床29床許可(特例許可病床)。  一般病床225床となる。 ・血液透析室開設する。

平成2年3月31日 - 平成3年10月1日
平成7年7月17日 - 平成8年7月31日

・MRI(1.5テスラ)導入。 ・秋川市と五日市町が合併し、名称を「あきる野市」と改める。 ・高速らせん型全身用CTスキャナーの導入。

平成7年7月17日 - 平成8年7月31日
平成9年8月26日 - 平成18年3月31日

・東京都災害時後方医療施設および災害拠点病院(国)の指定を受ける。 ・医師臨床研修を開始。 ・(財)日本医療機能評価機構による病院機能評価(Ver4.0)認定取得。 ・病院情報システム(電子カルテ等)導入。

平成9年8月26日 - 平成18年3月31日

成熟期 平成18年 - 現在

公立阿伎留病院を全面改築して、
公立阿伎留医療センターに病院名を変更して、現在に至ります。

平成18年8月1日 - 平成21年4月1日

・新病棟開院(7病棟・266床でオープン) ・緩和ケア病棟を開設する。 ・消化器病センターを開設する。 ・回復期リハビリテーション病棟を開設する。

平成18年8月1日 - 平成21年4月1日
平成22年7月1日 - 平成25年8月1日

・DPC(診断分類に基づく包括評価制度)対象病院となる。 ・一般病棟入院基本料7対1を届出する。 ・阿伎留病院企業団に組織変換。

平成22年7月1日 - 平成25年8月1日
平成28年7月1日

・地域包括ケア病棟を開設する。 ・公立阿伎留医療センター新改革プランを策定する。

平成28年7月1日
令和2年2月26日 - 令和3年5月24日

・新型コロナウイルス感染症対策室を設置。翌日、「帰国者・接触者外来(新型コロナ外来)」の設置および4階西病棟の個室病床2床をCOVID-19患者の専用入院病床として確保。 ・院内に集団接種会場を設置し、構成3市町村住民を対象とした新型コロナウイルスワクチン接種を開始。

令和2年2月26日 - 令和3年5月24日
令和5年9月4日 - 令和7年4月22日

・磁気共鳴断層撮影装置(3.0テスラ)を更新。 ・全身用X線CT診断装置を更新。 ・放射線治療機器(リニアック)の再稼働。 ・山梨大学医学部放射線医学講座と医療連携協定を締結。

令和5年9月4日 - 令和7年4月22日